宗教の起こり。
おはようございます。
去年の5月30日は総本山長谷寺に全国布教大会を受けに
行っていたようです。過去に何をしていたかを知るのは
重要な事ですね。今年は6月7日になります。
場所は宗務所なので東京の護国寺さんですね。
さて、今日のお題ですが「宗教の起こり」です。
なぜ、宗教なるものが生まれたのか?
宗教は大衆の衆を当て字にしておりますので
人に関して研究したり追求したりとではないかと。
やがて、教団をつくるようになってから
大きな組織が形成されて来た訳ですが
日本の宗教にまとまりがあるのかと聞かれると
ある一点に集約するとお参りは礼儀作法を知っている
人は神仏に手を合わせると言う事が出来るでしょう。
しかし、よく檀家等で囁かれるのは無宗教とか信仰心がないとか?
宗教に関心がないと言う話をよく耳にします。
宗教が必要な時が来る。
それを信じながら布教活動に前進するのみです。
話は戻りまして宗教の起こりは…。
やはり人間というものは争いを好む習性があるように思います。
自分の利益を欲しいと思う気持ちは誰にも止められない。
だからこそ争ってしまう。でも、それではいずれは両者の溝をつくり
場合によっては戦争に発展してしまう。
現代社会においては人を殺す兵器などが改良され
大量殺戮兵器なるものが生まれた。
外国では一般人の銃の使用が許可されるなんて
どこか間違えているように思います。
不殺生の意味には無駄な殺戮を禁ずる意味があります。
日本の武士道の精神には無駄な戦いをせず話し合いで
解決出来るものは会話で和平交渉するといったものでしょう。
宗教にはそのような戦いに規制をかける為にある。
言うなれば政治の分野で活躍して欲しいとは思っています。
宗教家によってはさまざまな意見があるかと思いますが
宗教と政治は切り離すと言う意見。
もっともではあります。しかしどうでしょうか?
今の日本を見ているとまとまりがなってない。
このままで良いのだろうか?
私たちに出来る事はどうしたら社会が明るくなるのか?
いじめや騒動など在ってはならない。
今の日本社会に言える事ではないでしょうか?
先ずは人格者の教育を徹底にすることから始めようとは
思っています。
平成30年 5月30日 南無大師遍照金剛 合掌